「きもの」の袖にてを通す時に、胸の「ときめき」を感じる日本の女性たち。この嬉しいような、気恥ずかしいような「胸の高まり」は、いったい何なのでしょうか。










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貫頭衣から現代まで

弥生時代の衣裳は、中国の「魏志倭人伝」に書かれている「貫頭衣」だと言うことは、あまりにも有名なお話です。したがって日本の民族衣裳は、そこから論じられ、始まることになります。

「貫頭衣」とは直線の、ウエストのない、ストンとしたサックドレスのような衣裳です。その頃から中国と交流が盛んになり、国内は中国文化の影響を受けて、時代は飛鳥・奈良と続き、六百年以上にわたって、中国色の濃い衣裳が続く事になります。


千二百年のきもの文化の幕開け
平安時代になると、遣唐使が廃止され、独自のきもの文化が始まります。現代につながる、1200年のきもの文化の幕開けです。
貴族階級の宮廷衣裳、つまり十二単や束帯などが生まれます。この時代の代表的なものといっていいでしょう。庶民の衣裳は現存するものがなく残念ながら推測するしかありません。
源氏や平家の台頭する武家社会の強装束(こわしょうぞく)も、時代の流れの中で出てきたものです。
この時代、着るものも活動しやすく、下着として着用していた小袖が表着として着られるようになり安土桃山時代では、その小袖に刺繍などを施した豪華なきものが誕生することになります。戦国時代では、荒廃してその衣裳もきわめて質素でした。

江戸時代の町人文化から現代きものへ


江戸時代、鎖国制度による日本文化は、町人(商人)の財力が強まる事によって、江戸文化と言われる日本独自の生活文化が花開くことになります。

このことは、衣食住にも大きな影響変化をもたらし、きものの染めの色や形、帯の種類や結び方、髪型や小物、お化粧など、現代に通じるきもの文化のスタイルが完成されたと言っても言いでしょう。

極論すると、現在私たちの着ている「きもの」は、江戸時代の町人文化の装いを身につけていると言っていいでしょう。


時代風俗衣裳は歴史を学ぶ着付けです
「文化」とはその時代を生きた、その「民族の生きざま」だと私たちは考えていますし、時代風俗衣裳の着付けを通じて、その時代に生きた人々の生き方や知的センスを学んで生きたいものだと考えています。

特に、平安時代や江戸時代の「きもの文化の節目の衣装の着付け」を中心に進めてまいります。


興味のある方は協会までお問い合わせください。


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